Kwame
前編より
オフィスを訪ねると、まず2回目のテストは80点で落第点ではないことが伝えられた。そして、1回目の落第したテストも含めて1問ずつ1対1ですべての問題のレビューと解説をしてくれた。そして勉強方法のアドバイスもくれ、環境学専攻の上級生を個人チューターとして特別につけてくれた。最後に部屋を出るときに「メールしてオフィスを訪ねてくれてありがとう。来てくれなかったら君の事を知らないままだったよ。次のテストの勉強でわからないことがあったら、テスト当日の朝でもいいからまたオフィスに来なさい。がんばれ。」と言ってくれ、今回は本当にリベラル・アーツ・カレッジの手厚さと教授との近さに感謝した。
3回目のテストと期末試験は、普段から真剣に授業を聞き、課外勉強会に出たり、チューターに一緒に勉強してもらったりして、2回とも90点以上の点数を取ることができた。学期末にレポート(米国の人口ピラミッド推移における移民人口の影響と社会構造の変化を、他国の人口構造及び移民受け入れ政策と比較させて論じた)をオフィスに提出しに行ったときに、教授から期末試験の成績がAだったことを伝えられた。
その時に「最初のテストで40点をとったのに最後のテストはほぼ完璧だった。自分も小学生の時にブラジルからアメリカに来たから、英語の壁で君が苦労するのはよくわかるし、私だったら君がくれたようなあんなに素直な相談のメールは書けないだろう。この君の苦労と努力は必ず君のためになる。これを乗り越えて君は大きく成長したと思うよ。おめでとう。」と言ってくれて嬉しかった。高校も含め、先生にこんなに細かく面倒を見てもらい、親身に祝ってもらうのは初めてで、感動した。この期末試験で、落第した1回目のテストの成績は無効になり、最終成績は個人的に満足なA⁻であった。
リベラル・アーツ・カレッジの教授は素晴らしい、という1授業の思い出だが、今振り返ってみると、この授業の試験が周りの米国人の生徒に比べて非常に難しく感じたのは、もちろん教授の英語がほぼ理解不可能だったこともあるが、日本の中等教育で問われなかった能力が試験で問われたからだとも考える。
テスト問題の方式は主に、表や写真を見てその現象や意味するものを論じたり、あるコンセプトについて与えられたキーワードを使い説明したりするというものであった。日本の高校までの授業で必要とされていた力は、穴のある文章を与えられて単語を埋めていくような力だったが、米国でやらなければいけなかったのは、その穴埋めの文章自体を作る作業だったように思う。
これは先学期受講した政治科学の試験問題にも共通しており、手ごたえの割に点数が低かったことが多々あった。また、政治科学では、実際の現代政治問題についてディベートを行う時間があった。テーマはヘイトスピーチに対する言論の自由の適用範囲だったり、国家的ジェノサイドが起きた際の外国政府の介入の是非だったりと面白かったが、何より共にチームで戦った米国人の友人たちの弁論力の高さに驚いた。彼らになんでそんなに弁論が上手いのか尋ねると、中学高校でずっとやってきたからね、と言われ、中等教育が個人の資質に及ぼすところの大きさを知った。
こういう波乱万丈や人生について考えもしなかった発見があるから、海外は大変だが面白いし、リベラル・アーツ・カレッジは最高の学び舎であると思う。長い道のりを経て、多くの壁を乗り越えて、誰も知らない米国僻地の小さな大学にやってきた自分の選択を、本当に誇りに思う。
Kwame