グリネル1年目の回想ー刑務所

Kwame

今年の二月ごろ、大学のボランティア活動で、友人と二人でキャンパス近くの刑務所で6週間ミクロ経済学を教えていた。自分たちで教師になり、カリキュラムの考案、教材作成、授業運営など全て自分たちで行わない、週一回90分の授業を約17人の囚人に向けて行っていた。グリネル1学期目に自身が受講した経済学入門の内容を6週間に押し込むハードな内容で、一回の授業当たり約3時間の事前準備をしなければならず、非常に骨の折れるボランティアだったが、その分学ぶことが多かった。

まず、実際に米国の刑務所に立ち入り、囚人たちと直接コミュニケーションをとることで、米国の刑務所収容者に対する偏見と先入観を打ち消すことが出来た。自分が通った刑務所は、正確には端正施設で、主に軽度の性犯罪者が収容されている。セキュリティーゲートを通り施設内に入ると、高校の校舎のような廊下を囚人たちが自由に往来しており、一応警護はいたが、自分たちも同じ空間を共有し建物内を移動した。壁にはいたるところに絵が描いてあり、暗い雰囲気はなかった。授業を行ったのは図書室で、最新の雑誌や新聞が揃えられていた。授業の後には「あの映画の上映会行くか?」「いや、この前観たからいいや。」といった会話をしている囚人もおり、施設内の自由さには驚いた。端正施設なので、罰を与えるというより、自分の授業も含め、社会に復帰できるよう更生させる目的が強いのだろうか。

授業を受講した囚人は30~60代の白人男性がほとんどで、大学出身者も多く、米国の刑務所って恐い黒人ギャングばかりなのかな、と非常に日本的な先入観で緊張していた自分には驚きだった。眼鏡をかけたり、明らかに内気でシャイな囚人もおり、なぜ収監されているのかと疑問に思う印象だった。勉強に対しては、その辺のウェイウェイ大学生よりもよほど熱心で、授業前や後に、私を見つけて質問に来る生徒もいた。宿題で30ページの読み物を課した時もやってきて、「カリフォルニア州でマリファナが解禁されたが、アイオワ州のマリファナの需要と供給に影響はするのか?」と何とも答えにくい質問もよくされた。

授業を自ら作り上げることから学ぶことも多かった。自身の経済学の理解は格段に深まったし、90分授業の半分を受け持ち講義をするので、45分間プレゼンテーションを一人でするようなものであり、プレゼンテーション能力も格段に上がり、大人数の前で話す自信もついた。

全6回の授業の中で、分かりやすく教えられているだろうか、生徒は楽しんでくれているだろうか、退屈していないかと、常に気を配り、試行錯誤の繰り返しで、自分の力のいたらないところがあるなと少し生徒にも申し訳なく思っていたが、最後の授業で、形だけでもミクロ経済学講座を修了したということで修了賞を一人一人手渡したとき、予想に反して、生徒たちがお互いに拍手を送りあい、「おめでとう!」と教室は非常に和やかな雰囲気に包まれた。授業が終わった後も握手を求められ、「君は最高の先生だよ!」「本当に助かった。ありがとう!」と言ってくれる生徒もいた。この授業は彼らにとって、そんなにも意味のあるものだったのか、自分は彼らの人生にそんなに大きな影響を残したのか、と6週間を通しての苦労と終ってしまった哀しさも相まって感極まってしまい、帰りの車の中で思わず泣いてしまった。

このプログラムはGrinnell in Prison というグリネル伝統のプログラムで、グリネルの社会正義事業の一端を担う極めて重要なプログラムである。教育を受ける権利、機会を持たない、アンダープリビレッジの構造に仕組まれてしまった人々にどう教育の機会を与えるか、また社会人として働くときに、どうやって社会正義のために活動を続けられるか、生涯にわたって考え続けたいと思う。

Kwame