こんにちは。グリネル大学2年生のみつきです。
グリネル大学は留学生の数が多い!とは言っても例年日本人学生は3、4人新入生がいれば多い、という感じでした。しかし、今年は一年生が9人もいるということで日本人の数がほぼ倍増したのです。
日本人という括りでは一緒でも、専攻、性格、将来の夢、などなどいろんな角度から個人を見ていくと全然違うんですね。当然ですが。なので、初回投稿を書くにあたって、みつきはどんな日本人なのだろうだろう、ということを少しだけわかっていただければと思います。
僕が他の日本人と一番違うことは何か。
純ジャパ。純粋なジャパニーズ。グリネルに入学するまでは、海外に住んだことが一度もなく(最長3週間)、小中高と一般的な日本の教育を受けてきた(インターナショナルスクールでない)、文化的に純粋な日本人。なんですね。別に帰国子女だとか、インターナショナルスクールの学生が文化的に汚染されているなんて意味では本当にありません。日本社会でしか生きたことがないというだけです。
学部留学者の現実として、こう言う純ジャパの数はやはり圧倒的に少ないです。グリネルの日本人学生でも純ジャパは2/約20人です。
純ジャパだとなんなのか。やはり一番大きいのは言語の壁。友人を作るのも、授業の内容を理解するのにも、教授に質問一つするのも、当然英語しか通じません。1年生の始めの頃は言語という見えない壁に自分の行動範囲を阻まれながらなんとか生き延びたという感じでした。ビビリの僕は一年生の時はreading writing intensive class(読書課題、エッセイ課題の多いクラス。文系に多い。)をあまりとらないようにしてしまったり、なかなか授業中に発言できなかったり、という消極的な姿勢で1年目を過ごしてしまいました。
ここまではよくある話。
では、授業中に発言できないと何が悪いの。という話。
僕が、言語的に不利な状況に置かれて一番悔しかったのは、このグリネルというコミュニティの中で底辺にいるのかもしれない、という挫折感です。
自分たちでいうのもどうかと思いますが、グリネル大学はほぼ皆無の知名度とは裏腹に、かなりアカデミックのレベルが高い、課題の量が多い、ということで有名です。今年新しく入ってきた一人の日本人の教授によれば「グリネルはMid-Westのハーバード」みたいな認識をされているとか。(これは言い過ぎかもわかりませんが。)そこに入ってくる、島国の人々、日本人はみんな日本でも何か光るものがあったから合格して入学してきているんです。僕の場合、その光るものが英語力と勉強、でした。「純ジャパなのに、英語できるね!」、「やっぱり栄光(僕の出身校)出身だから優秀なんでしょう」なんていうちやほやされた環境で中高の六年間過ごしてきました。口では「そんなことないです」って言っていても、周りから6年も言われ続けたら、そうなのかなと思っていた部分があると思います。こういう意味でいわゆるエリート層のプライド、みたいなのが自然に生まれていました。
それがグリネルに来て、急に変わったのです。英語がアメリカ人よりできないのはいいとして、勉強もついていくのが大変。日本語で全く同じ内容の授業だったらついていけたと思います。ただ、全部英語だから理解できないことが多すぎて、クラスで何を質問していいのかもわからなくて、友達の会話内容がわからなくて、作り笑いして。。。言葉が通じないだけで、本来できるはずのことも全部難しいこと、に変わったのです。これで、「君は今この社会の底辺にいます」と自分で自分にラベルを貼りつけることになりました。
一年間のグリネルでの生活を通して、自分の語学力にかなり自信も付き、今学期はようやく社会学など、自分の勉強したかった本格的な文系科目を取っています。1年目の挫折があったからこそ、今ようやく学んでいる感覚が芽生えてきて、とても充実した生活を送っています。4年目まで、社会学を中心に政治、経済を学んでいきたいと考えているので、そろそろ学問のエンジンも全開にしていきたいところです。
このブログを読んでくださっている海外在住経験のない高校生や中学生が、「自分に学部留学なんてできないだろうな」と悩んで諦める前に、純ジャパが留学したらどんなことになっちゃうの、ということをお伝えしていければと思います。
みつき