思考と行動〜ボスキャリの収穫〜

今まで飛行機で何回もアメリカと日本の間を行き来している割に、ブログを飛行機で書くのは今回がはじめてだ。外の明るい空に対して機内は暗く、この人工的な夜を鵜呑みにして眠れる人は羨ましい。私は全く眠れない。先ほどからギシギシ席を揺らしがちの前の席のおじさんも仲間のようだ。彼は窓のブラインドを開けて、外を眺めている。急に機内の夜に光が差し込み、人工的な夜も台無しだ。


私も残るはあと一学期。一年生の時の自分を思えば、私は大学生活で本当に成長した。四年生になりたての学期初めは、私は最高学年として大学では威張って生きていて、「もう大人の仲間入りだな。」と思っていた。

しかし、私は就活のためにボストンに行った4日間でそれは大間違いだということを思い知った。

ボスキャリは賛否両論あるが、私は収穫が大きかった。

リベラルアーツの大学で社会の不条理を散々学んだ私は、今までは自分がどのように社会に適合すればいいのか分からなくて、行動が取れなかった。キャリアフォーラムなどに行くと、スーツをビッチリ着て、資本主義の波に流されて、お金が稼げる仕事に目を輝かせている学生を見下しながらも焦りを感じていた。資本主義に適合できるというのが「成功」する人の姿なのか。考えれば考えるほど答えが分からなくなって、いっそのこと私も頭を空っぽにして、煌びやかなブランド品や安定した結婚生活を夢見るような人になれれば楽なのに、と何回も思った。が、そんなことできるわけもなく、考えるだけで行動をしないまま、とりあえず大学生という波に乗っていたら、いつの間にか岸からは大きく離れていて、誰も助けに来てくれない海の真ん中で彷徨っていた。

そう、誰も助けに来てくれない。

私は考えることに重きを置きすぎていたことに気づいた。自分が考えるという労働をしていれば、誰かが救命ボートで岸に引っ張ってくれると思っていた。しかし、結局考えていても、何も行動しなければ、考えていないということと同じ。そして、インプットなしで考えるしかしていなければ、いつか限界がくる。答えが欲しければ行動しなきゃ。そう思った。

ボスキャリには、資本主義に流されようと思って行ったわけではない。ただ、一回やってみようと思った。スーツを着て、企業と面接をして、ディナーに行って、という段取りを一回本気でやろうと思った。本気でやらなければ、それに対して自分は評価を下せないと思ったから。

その結果、自分は大きく成長できた。尊敬できる人に多く出会い、本気で好きになれた企業もあった。もちろん、尊敬できない人もたくさんいたし、絶対に行きたくない企業もあった。しかし、それは全部、行動していなければ分からなかった。

一年生の私は何も考えていなかった。

二年生の私は新しい環境に教えられたことを鵜呑みにして一つの見方しかできなかった。

三年生の私は新しい環境で学んだことの裏を見て、何を信じて歩けばいいか分からなかった。

そして、四年生になった私は、色々な人や環境や考え方を知って、自分が何も知らないことを知った。大学で最高学年になって、周りよりも自分は何かを知っているという妄想に浸っていた私は、大学の次のステップをボスキャリで垣間見て自分の未熟さを知った。

卒業という言葉は少し怖いが、これが本当の卒業なのだと思う。私は大学で学べることを学んで、大きく成長した。次のステップで、また、大きく成長したい。


フライトアテンダントが通路を歩いてくる。私の前の列で止まると、彼女は私の前の席のおじさんに声をかけた。

「すみません、窓のブラインドを下げていただけますか?」

彼は謝りブラインドを閉じる。機内は再び暗闇に包まれる。次に窓を開ける時にはどのような景色が待っているのだろう。