皆さんご存知の通り、Grinnell Collegeはリベラルアーツカレッジである。日本でも大分浸透してきた用語なので説明する機会も減ってきたものの、そのような大学に通っている自分自身がその良さをまだまだわかりきっていなかったと気付かされる毎日である。そこで、二年生も後半に入った今、改めてリベラルアーツについて思うことを書き記しておこうと思う。
Vol.1:リベラルアーツカレッジは、地頭を鍛えるのに最適な場所だ、と思う。
私が入学した当初は、リベラルアーツの教育の元で色々な科目にチャレンジすることで自分の知的好奇心を満たせればいいなぁ、くらいにしか考えていなかった。高校時代は理数科に所属していたこともあり、大好きな哲学を、歴史を、政治をも封印しなければならなかった。入学当時は理系科目も文系科目もまだまだ学び足りていないと感じていたので、いよいよ気になることを思う存分勉強できる! そんな思いで初めての授業に向かったのを覚えている。
当時の「様々な分野を幅広く学びたい→リベラルアーツ」という考えは、間違ってはいない。実際、様々な分野を幅広く学ぶことの出来る環境は整っている。しかし、リベラルアーツカレッジで学ぶことのメリットは決してそれだけではなく、むしろもっと見えづらいところにある様に思えた。
私が思う、リベラルアーツ教育で得られる力の最たるものは「地頭力」である。
地頭力は、確固たる定義もない曖昧な表現なのだが、私の中では「どんな教科にも、日常生活にも、仕事にも応用できる」「論理的思考力」や「創造力」のことを指している。
こう考え始めたきっかけは、先学期受講していた”Roman Republic (共和制ローマ)”と”Nationalism (ナショナリズム)”の教授が、それぞれ以下の様に話してくれたからだった。
「究極ね、ローマの歴史なんて10年後には専門家でもない限りみんな忘れちゃうことくらい分かっているのよ。でもね、それでいいの。このクラスの本当のゴールは生徒を良い書き手にさせること。良い書き手ってね、言葉遣いや文法だけの話じゃないわよ。無駄なく論理的に主張とそのサポートをすること、サポートに使う事実や主張の繋がりを考え直すこと、そうして普通にしていては気付かないもう一歩踏み込んだ新たな主張を最後に生み出すこと。この力って一生ものだから。」(Roman Republicの教授)
「それぞれの国で何が起きたか、それは覚えてくれていたら嬉しいけれど忘れてもしまっても良いわ!!(笑) 逆に私も本を読んで思い出すし(笑)あなたには、このクラスで私が生徒に身に付けさせたいベーススキルに気づいて欲しい。というか、どの教授の授業もそうなのだけれど、様々なことに応用できる基礎的なスキルや理論を身に付けたもの勝ちなのよ :)」(Nationalismの教授)
共に、その分野の専門家でありその分野に情熱をかけている教授ながら、分野の内容は二の次なのに驚いた。けれども、よく考えたらこれは当たり前の様な気がする。
まず、リベラルアーツカレッジで教鞭をとるという時点で、大学の教育の目的が「スペシャリストを育てること」ではなく「問題解決能力を含めた、どの分野に進んでも必要とされる基礎的なスキルを最大限身に付けさせること」ということを知っているのだろう。
それに加え、色々な分野を幅広く学べるリベラルアーツカレッジだからこそ、教授達も受け持つクラスの生徒が教授の専門分野を専攻しない可能性があることを十分に分かっている。Grinnell Collegeの教授陣は、自分の教える科目を専攻にする学生だけが何かを得られれば良いなどとは考えておらず、担当する学生が皆どの分野に進もうとも将来役立つ力を育てようとしているのではないかと感じた。(Drawing(デッサン)のクラスでも、その授業を取ることでどう日常の捉え方が変化したかや、どの様な思考回路で作品の構成を考えたかのエッセイを書かされたのを覚えている。)
上に挙げた様な各教授の持つ裏テーマ的なゴールを、課題をこなすうちに知らず知らず達成できる場合もあれば、そのゴールに気が付かないと(すぐ忘れてしまう)知識だけを得て何となく一学期が終わってしまう、という場合もある。そのテーマに気づき、(筋トレと一緒で)意識してトレーニングすることが、リベラルアーツ教育を最大限に活用する方法なのだと私は思っている。
この教育のもと鍛えられた地頭は、「一生もの」とは言えきっと鍛え続けないと錆びついてしまう。けれども、錆び付くも何も、鍛え方を知らなければ始まらない。リベラルアーツカレッジで「鍛える」だけでなく「鍛え方を学ぶ」ことまで出来たのなら、もう十分に来た価値はあるのではないだろうか。
次回の記事は、リベラルアーツカレッジだからこそお薦めしたい授業について。
P.S. ちなみに、先学期お世話になったシアターの教授から教えて頂いたクリエイティブになる方法は、目から鱗で、しかもどの分野にも応用できることだった。すごくシンプルだけれど気づくのが難しいことだったので、彼に出会えて本当に良かったと思った。このことについては改めて記事を書こうと思う。