Kwame
今年の4月、20歳の誕生日を迎えてすぐ、4日間ほどグリネル代表としてミズーリ州カンザスシティで開かれた、白人の特権に関する会議(White Privilege Conference)に参加してきた。
この会議は、全米からリベラル系の学生、教授、NPOスタッフ、知識人、活動家などが集まり、様々な社会事業団体の協賛によって毎年開かれる。18年間すでに行われており、今年はニューヨークなどから約2000人が集まった。白人の特権問題や人種差別について、様々な分野のプロフェッショナルからの基調講演やワークショップを通して理解し、白人の特権構造の解消のための具体的な戦略と行動について考えることを目的としている。参加者は残念ながらほとんど白人であった。この会議は、グローバルかつ階層的な社会構造が抱えるあまりにも複雑で巨大な問題を自分に叩き付け、会議に参加した後一週間ほど無力感で気がかなり病んでしまった。3か月たった今でも、生活の中で、この会議で学んだことを思い出すことが多い。
この会議の話を聞いたときは、白人の特権(White Privilege)すら聞いたことがなかった。自分の今の理解では、白人の特権問題は、人種差別の裏返しであり、特権を持たない人々への無関心と自分の特権への無理解であると考えている。白人であるというだけで、個人の資質に関わらず受けられる恩恵が白人の特権で、人種差別のように特権自体が直接何かを生み出すわけではないが、個人のキャリアや日々の行動に前向きな影響を及ぼす。
例えば、自分が受験や就職がうまくいかなくても、原因は自分の人種や性別によるものではないだろうか?と考えずに済むのは、その人がその社会で特権を持っているからで、だから特権を持っている人達は、自分の特権を意識しづらい。リベラルな家庭で育った白人の友人は、常に両親から自分の特権について意識しなさい、と教えられたと言っていた。
基調講演やワークショップを通して米国の文化的な差別主義や、正義に関わる問題全般について深く考えることが出来た。例えば今まで、貧困などの社会問題と地球温暖化などの環境問題は二つの独立した問題だと考えていた。しかし、気候変動、経済弾圧、性差別などの根底に流れる思考態度は同じであると感じた。女性差別における男性の虐待や暴力、自由経済による終わりのない搾取と市場の成長は、弱いものに対する支配と征服という思考態度によって気候変動に対する人間の態度と共通している。だから、環境正義のみについて対処法的な解決策を話し合うだけではなく、根底にある特権と支配の構造について話さなければならない。
また、特に日本で無意識に使いがちな「白人」、「黒人」という分け方も語り口(narrative)でしかなく、白人が黒人奴隷を支配しやすいように作った区分の方法である。本来、肌の色は白か黒の二者択一ではなく、暗い色からだんだん明るくなるような段階的なものだ。会議に参加していた他大学の一見黒人の学生は、自分で自分を黒人だと思っているが他の黒人の友達より肌の色が少し明るいことで毎日彼らと共にいて特権を感じる、と言っていたのが印象的だった。
他にも、米国におけるムスリムの立場や、先住民の歴史、社会運動のための作戦立案など、多くを学べたが、その分新しい知識に圧倒されてしまい、見える社会が非常に混沌となってしまった。現在はかなり自分なりに咀嚼することが出来ており、来年また参加したいと考えている。
Kwame