3.11

2011年3月11日午後2時46分。

当時、僕は高校一年生でした。期末試験が終わって、高校のイベントで茨城(?記憶が曖昧に…)に出向いていて、ちょうど帰宅間際でした。座っていたバスが徐々に揺れ始めて、最初は誰かが故意にバスを揺らしているのかと思いました。でも段々と揺れが強くなり、慌てて皆でバスを降りました。揺れが収まった後、携帯でニュースを見て、ようやく事の重大さに気づきました。

その後、延々と続く渋滞に巻き込まれながら、バスのテレビで、刻一刻と変化する状況を伝えるニュースを皆黙って見つめていました。ただひたすら流れる惨事の様子に、皆言葉を失ってしまいました。


混乱の中いつのまにか春休みになり、僕は逃げるように広島に帰省し、遠い世界の出来事のようにテレビに映し出される被害状況や被災者の姿を眺めていました。

僕はこの時、考えるのをやめました。「東日本大震災」という出来事を「自分に関係のある事」から切り離して、逃げました。


そして、2017年3月。グリネルで、「Threshold: Whispers of Fukushima」というドキュメンタリー映画を制作した椎木透子さんと2012年まで14年間、福島原子力発電所に勤務していた吉川彰浩さんと面会する機会を得ました(映画の詳細はこちら、吉川さんのメディアでの活動はこちら)。

福島の人々が今でもいわゆる風評被害に苦しんでいる(福島の人間は汚染されている、と言われて学校でいじめを受ける子供達など)話や、日本の食品に放射能が含まれているという偽ニュースの話題、そして発電所の勤務員として事故を防げなかった吉川さんの苦悩と、それでも前に進み、未来を築くために自分にできることをやろうという気概など、実に様々な話を伺うことができました。


この面会の後、自分の中でいくつかのモヤモヤが。

  1. 偽ニュースが溢れる今日、どうやって信頼できる「正しい」情報を上手く選別し、偏見を持たずに物事と向き合えるか。
  2. 次このような事態が起きた時、自分はどうすればいいのか。また逃げるだけでいいのか。

一番は結構単純でしょうか?物事を批判的(critical)な目で見ることを忘れず、また多面的な視点で見てから判断することが大事なのではないでしょうか?

二番は、正直分かりません。仕事を投げ出してボランティアに行けばいいのか?それは違う気がします。社会の歯車として機能している以上、簡単に止めるわけにはいきません。自分の役割を把握して、それを全うした上で、もっと違う方法で貢献できる道を探すべきでしょうか。

うーん、やっぱり分かりません…

でも、確実に言えることは、以前のような、考えるのをやめてただ逃げる人間でいたくはないということです。

あとは、考えてばかりで行動しない人にもなりたくありません。「何も行動は起こせてないけど、自分は社会のことをこんなに考えてる。自分すごいじゃん」なんて意味ないですよね。被災者でもありながら、「加害者」という重い看板を背負って、それでも前に進む吉川さんを知ってしまったからには。