アメリカでこそ日本を知れ

アメリカの大学に通っていると、日本との距離を感じる。それは地理的な約9000kmの距離、時間的な14時間の距離とは違う距離だ。

アメリカで過ごしたここ2年弱で私の世界は知らないうちに広がっていた。中高の自分は、どこかで「私は帰国生だから世界の大きさを知っている」と思っていた。でも、色々な国の人と関わり、自分が知らない文化と触れ、思いもしなかった概念について学んで、全く違う考え方の友達ができて、私は、自分が知らない世界の大きさを知った。無知の知を説いたソクラテスは本当に賢い人だったのだな、と今更当たり前なことが身にしみる。

しかし、アメリカで自分の世界が広がる一方、私の中で日本という世界が縮まっていく。日本で何が流行っているのかも、日本の政治で何が起こっているのかも、いま聞かれても全くわからない。どれだけ世界が広がっても、今まで自分が知っていた世界を新しいものと入れ替えていくだけでは、意味がない。

私は、どれだけアメリカが好きでも、英語で文章を書いても、アメリカ人にはなれない。私は日本人だ。中高で古文漢文を学び、先輩や後輩がいた部活に6年間所属し、朝礼でお辞儀をし、目上の人には敬語を使う日本人だ。アメリカの大学に通っていると、時々それを忘れがちな自分がいる。それを忘れたい自分も少しいる。

でも、「アメリカの大学に通って広がる世界」と「日本人として見て来た世界」の二つを自分の中で保ち、どっちかをその場で鵜呑みにするのではなく、2つとも自分の一部だということを忘れずに生きていって、初めて真実が少しづつ見えてくるのかとわたしは思う。

春休みが終わった1週間後に、Craft of Creative Non-Fictionのクラスのために伝記を書いて提出しなければいけない。色々悩んだ結果、紫式部について書くことにした。彼女について調べれば調べるほど、日本史や古典の世界の奥深さを感じ、アメリカのアイオワ州のグリネル大学のKershaw寮の2231号室で、今日も私の世界は広がって行く。