冷めない夢

5月にグリネル大学を卒業した二ヶ月後、今年大学二年生になった妹に誕生日カードを渡した。3歳離れている妹へ渡すカードは今まではほどほどに内容が薄いものばかりだった。やはり何歳になっても妹は何故かとても幼く見えてしまうのは、世界中の姉が共感してくれるはず。でも、去年の9月にグリネルに入学してきた妹と同い年の後輩の立派な姿を目にした時、私は自分の妹の成長に気付かせられた。そんなこともあって、今年は少ししっかりした内容を書こうと思い、何か自分がアドバイスができるものはないかと考えて、カードにこう綴ることになったのだ:

「卒業してわかるのは学生がいかに恵まれているかということ。余計なこと心配しないで突っ走ればいいんじゃない?」

私のアドバイスというものは世界一自己中なもので、人のことを思って言っているというよりは、自分がもらいたかったアドバイスを未来に託しているだけだ。だから、私が一番自分を客観的に振り返ることができるのは、誰かにアドバイスをする時だ。妹のメッセージを書いたことで、自分も学生時代の時に誰かに「余計なこと心配しないで突っ走れ」と言われたかったのだと気づいた。

グリネルでの4年間は本当に濃かった。笑いが止まらなくて腹に穴が開くのではないかと思った時もあれば全てが最悪で辛すぎて毎日泣いた1週間もあった。何一つ変えないかと聞かれれば、そうでもないかもしれないけど、むしろその4年間の中から芽生えた「後悔」という気持ちさえ愛おしく思えるほどに大学生活は私にとってなくてはならない経験だった。

振り返れば、私は大学生活を常に全力で突っ走っていた。全力で突っ走ったからこそ私は、徹夜はある一定の時間を過ぎれば眠気も食欲もなくなるということも、JRCの清掃の人は朝5時になると爆音量でロック音楽をかけてはじめることも、大雪の中でもお酒に温められていたら袖なしのドレスでも寒くないことも、冬に近づくとSouth Campusの寮にはネズミが居候することも、知っている。自分の大学生活のどの部分を切り取っても、いつも全力で勉強にも人にも、そして時にはネズミにも、立ち向かっていた。

でも、余計な心配はたくさんした。完璧主義な私は、何かと失敗することに弱くて、絶対後悔したくない、怒られたくない、問題を起こしたくない、と思いながら常に生きている。それは、すぐには直るものではなくて、今もそうだ。でも、今振り返って気づくのは、学生時代は本人に課せられる責任なんてほとんどなくて、自由に生きていける最後のチャンスだった。学校も守ってくれたし、私はもっとリスクを取るべきだったのではないかと思う時がある。大きくギャンブルに出る最後のチャンスを知らない間に逃してしまったのではないか、と。

就職も終わって、世間の言う「社会人」のシステムにつま先をから染められていくと、どれだけ学生は守られている立場なのかをどんどん思い知らされる。まだ働き始めたわけではないが、日本社会で働くには、自分を犠牲にして、自分がしたくない行動をしてでも稼がなくてはいけないお金がある。もちろん楽しい時もあると思う。自分が成長できるチャンスもたくさんあるはずだ。でも、学生の時のように、「自分が諦めれば自分が損する」という簡単なことじゃなくて、社会に出た人は、もう自分だけでは終わらない責任を負うことになる。第一に社会への利益を上げることが毎日の目標という状況の中で、常に自分の仕事を自分の成長に繋げられるのはなかなか難しいと思う。

だから、学生の時の「自分のためにひたすら学べる」という環境をもっとありがたく思っておけばよかった。私は誰かのために学んでいたわけでも、それから得られる貨幣の数を数えていたわけでもなかった。心から大好きな文学について学んでワクワクしていた。そんな時間をもっと大切にするべきだったのかな、と。

でも、そんな風に思えること自体が恵まれているのかもしれない。学生時代から「社会での利益」を考えて行動する人は山ほどいるからだ。私はお金になるはずがないとひたすら言われながら英文学を専攻した。

自分はリスクをとってこなかったと言ったが、実は英文作家になろうと決めた8歳の頃の私は一番のリスクを背負う人生を選んだのかもしれない。そしてそのリスクの代償が払われるのは23歳を迎えた今ということだ。これから私は、社会の利益を思って働く中で、必ずしも貨幣という利益を出せないかもしれない文学という情熱を同時進行で追求することになる。その生活は矛盾に溢れるだろうし、何かを粗末にしてしまう時もあれば、ある一定の人にやる気がないと言われてしまうかもしれない。そんな時に、作家という夢を諦めかけそうになってしまった私を止めてくれるのは、大学時代に感じた好きなものを自由に学ぶワクワクの思い出だと思う。

まよ

Signing off.