こんにちは こうたです。今回はみつきとの会談が実現しました。
専攻の決め方、大学とは何か、学問になにを期待するか、僕とみつきの視点の違いが垣間見られる対談となりました。
こうた:
今学期はCS (コンピューターサイエンス)のクラス同じだよね。昨日のExamどうだった?ほとんどできたんだけど、あと少しだけ時間があれば完璧だった・・・ あと5分とか。 悔しい。
みつき:
結構時間がぎりぎりだったよね。凡ミスとかしてそうだなぁ。小学生の頃から同じこと言っているけど(笑)
こうた:
そういば、みつきは先学期はCS取っていなかったよね。もうそろそろ専攻を決める時期だと思うけど、専攻どうするんだっけ?やっぱフランス語か?(みつきは一年生の夏休みに他大学でフランス語コースを取っていたことで有名)
みつき:
社会学は確定で、多分CSも専攻に追加すると思う。すごくかけ離れた分野だけど、学問的なバランスを考えた結果かな。
こうた:
学問的なバランスとは?
みつき:
よくある話だけど、文理どっちもやろうよっていうやつ。
社会学は社会に存在する問題の根源を綺麗事なしに教えてくれるけれど、その先のどうやって解決するのかっていう議論にはあまりクラスとかでならないんだよね。
一方、CS(Computer Science)は授業のタイトルを見ればわかるけど、”Problem Solving”なんて言っていて、課題を解決する部分に重点を置いている分野だよね。だから社会学的見地から他人を批判してばかりいる口うるさいおじさんになるんじゃなくて、CSを学ぶことで自分でも問題解決できる大人になりたいと思った。インターネットは自分が移動しなくても、世界中の人と情報交換ができる、どこでもドアみたいな素晴らしいツールだからできて損は絶対にない。もちろん社会学とCSで扱っている問題のスケールや分野が全然違うだろうと言われてしまえばそうなんだけど、もう少しCSのスキルアップしてから、この辺の話は議論したいね。
フランス語も今までたくさん時間を費やしてきたけど、専攻にするのはやめたんだ。本当に学びたかったら現地のフランスで学んだ方が絶対に効率が良いし、大学で学ぶことはないかなって思い始めた。
こうた:
なるほど。社会学で問題を捉え、CSでそれを解決したいっていうことね。まさに理系と文系を学んでいくスタイルだね。
みつき:
しかもCSは今話題の分野で、社会的な需要が大きい学問なのは間違い無いと思う。CSを勉強するのは楽しいけれども、専攻にしようと思っている理由は現実的に言うと「時代の流れ」というのが大きいかな。
こうた:
そうか。これからAI(人口知能)がどんどん社会に進出してきて活躍してくる時代だと思うから、CSはもっとホットな学問になってくるでしょうしね。
以前、みつきのこの記事を読んだときに「お!俺と考えが違う」って思って、いつかゆっくり話したいと思ったんだよね。
みつき:
そうだったんだ。
こうた:
みつきは「大学に進学するのは社会からの期待に添うためだ」という話をしていたよね。でも、俺は純粋に知的好奇心を満たすのと、将来の夢に少しでも近づきたいから大学に進学したと思ってる。宇宙開発をどうしてもやりたくて、それには物理とCSがドンピシャだった。これはたまたま就職しやすい専攻だけど、それよりも純粋に物理とCSが好きだから勉強したいんだよね。
みつき:
まず、大学に知的好奇心だけを純粋に追い求めていると「思っているの」は、本当に恵まれた環境にいる人たちだけだと思うんだ。知的好奇心を求めるならわざわざ高い学費払って大学に行かなくても良いじゃん?本やネットという無限に等しい情報源があるんだから、それを読めばいい。さらに都会に住んでいるなら、バイトでもしながら生活費だけ稼いで、公共にオープンになっているレクチャーとか行けばいい。あるいは友人で大学に行っている人がいたら、授業に潜らせて貰えばいいじゃん。って感じでいくらでも知的好奇心を満たす方法があるんだよね。
そもそもどこの大学にいこうかな、はだいたいみんな3秒くらいは日本でもアメリカでも考えると思うんだけど、大学に行くべきか一瞬でも疑っている人はなかなかいないんじゃない?周りの友人も親も大学には行くもんだと言っているから、なんとなく行く。実際は学部の学位という社会人としての必要条件らしきものを手に入れて安心したいだけなんだけど、そういう社会的期待に応えている自分にも気づかずに大学進学している人が多いんじゃないかな。まあ僕もその一人だけどね(笑)
こうた:
知的好奇心を満たしたいなら大学で学ぶのが最も効率が良いでしょ。都会に住んでいないし、バイトで生活費稼ぐのも大変だし、すごく時間かかる。オープンになってるレクチャーも専門的な内容だと全くないし。潜りに関しては分からないけど、大学で使える装置とか人材は個人では手に入らないものがあるしね。特にモノづくりとかは知識ではなく、煤や油で手や顔を汚してこそ学びがあるって思ってる。手がきれいなうちは何も学べていないってね(笑)ネットも狭く深い分野だと途端に情報がなくなるから、やはり最後に頼りになるのは大学のリソースかな。大学って環境はやっぱり勉学に集中できるし。
みつき:
でもアメリカの場合特に、大学に払っている年間500万円の学費を当てたら大体のものは手に入るんじゃないかな笑 特にCSなんてパソコン1台あればできるでしょ。僕の友人でも独学でCS勉強している子がいて、本音を言うと彼のほうが圧倒的に大学でダラダラと勉強している人よりできると思うんだよね。リソースはどれくらい大学に来る言い訳になるのかは微妙なところじゃないかな。
それから宇宙開発やりたいってことだったけれど、宇宙開発もいろいろ考えるべきことがあると思う。例えば、宇宙開発で見つかった資源分配はどうするのか。宇宙での土地の管理は?新たな国際的争いを起こさないためにはどうすればいい?極論、エイリアンと出会ってしまったら人間のアイデンティティにどう影響するの?とか。宇宙開発やりたいから、はい理系やりまーす。じゃあ甘すぎるんじゃないかな。文系の学問が与えてくれる想像力とか他人に共感する力をフル動員させて宇宙開発を進めていくことが大事なんじゃないかな。これが僕の先ほど言っていた学問的バランス。特に、理系こそ文系を学ばないとダメだ、ということ。
こうた:
大学はコスパも含めていろいろあるからね。年間500万円はあり得ないぐらいに高いけれど。宇宙開発については確かにたくさん課題があるよね。だからリベラルアーツのグリネルに来たんだけれどね。技術だけではなく、物事を複数の立場から見たり、持っている技術をどれだけ素晴らしいものか見せられるように、ディスカッションやプレゼンテーションの技を学べるリベラルアーツが魅力的だと思ったんだ。クラスは理系ばかりになってしまっているけど、出来る限り文系科目も組み込むように実はしている(笑)極論としてエイリアンの話が出てきたけど、実は考えたことがあるんだ。人間のアイデンティティーがどうなるかという以前の話なんだけど。人間の歴史では、二つの文明が衝突すると必ず弱い方が消滅してしまう。きっとエイリアンと人間の文明でも同じことが起きて、この場合の弱い文明は人類の方だから滅ぼされてしまうかもしれない。でも俺が開発者として出来ることは、そのエイリアンと人間がコミュニケーションを取れるような装置を開発することかなって思ってる。コミュニケーションが取れたらきっと別の選択肢もあるのではないかなって思う。コミュニケーションが取れるようになったら、他の専門の人にバトンパス。人類エイリアン翻訳機が俺が出来る最大のことかな(笑)
みつき:
技術開発に興味があるのがひしひし伝わって来る答えだね。 僕の場合文系的な視点に行きやすいから、エイリアンとコミュニケーションを取れる装置を開発しますなんて考えもしないなぁ(笑)
こうた:
そういえば、さっき文系は裏のストーリーが見えてくるのが良いところという話をしていたけど、共感できるな。例えば、なぜ日本人は意見を言わないと言われるのか。これも歴史とか民俗学から紐解いていくとすごく面白かった。日本書紀の「八紘一宇」という言葉にもあるように、昔は日本には様々な民族が共存していて、それぞれの民族が「丸く」なって暮らしていた。そして天皇は天の恵み、雨とかをそれぞれの民族に分配していくことで日本国は成り立っていた。それが大化の改新のときに政治思想の違いで多くの人が暗殺されたりしてしまった。これを機に日本人は政治的な意見があっても、口にはしないようになった。「口は災いの門」という諺もあるように、争いを起こすぐらいなら黙っていたほうが皆幸せだよねってなった。さらに国歌にある、「さざれ石」(川底の丸い石)のように、皆「丸く」なって共存しましょうと。この「丸く」なるってことが意見を言わないことに繋がっているのではないかっていう歴史の紐解き方。すごく感心したし、今まで悪いことだと思っていた意見を言わないことも実はこんな背景があったのかもしれないって気づかせてくれた。ここまでの深い考察は理系にはなかなか見当たらないと思う。意見があって言わないことと意見がなくて言えないことは全く別だけど・・・
みつき:
うんうん。国民性、というコンセプトの信憑性は疑うべきではあると思うけど、そういった背景を想像してようやく見えてくるものがすごく大事だよね。
ここまで僕がペラペラと文理のバランスという点から、学問の意義みたいなところを偉そうに語ってきたけれども(笑)、 こうたはどうして学問を学んでいると思う?
こうた:
学問は人間が備えている知的好奇心を満たしていくものかなって思ってる。人間の知への欲求ってすごいものだと思う。でも好奇心を満たしていくだけではなく、その過程で社会貢献をしていくことが大切なんだと思う。昔から、人間は後の世代により良い世界を残していきたいって信じて進んできてるから。
みつき:
社会貢献ってなに?
こうた:
それがみんなにとって良いものであるとは限らないけど、周囲が幸せになったり、次の世代に良い世界を手渡すこと。例えば、ブログで情報を発信していくことも、後の世代への貢献だと思う。宇宙開発を通しても、将来の人たちがより幸せな環境で暮らしていくことができるようになるはず。小惑星から資源採掘できるようになれば、レアアースなども大量に採掘できるだろうし、火星移住ができれば人口増加問題や環境問題の解決策の一つになる。将来の世代に今よりも良い世界を繋いでいきたい。
みつき:
でもここでの「幸せ」とか「良い世界」ってなに?
こうた:
それは自分が信じる「幸せ」とか「良い世界」ってこと。先祖たちもそれぞれの「理想郷」を抱きながら、歯を食いしばって人生を全うしていったはずだから。人それぞれ「幸せ」って感じることは違うし、定義することはできないでしょ。
みつき:
定義が難しいのは確かだね。でもこれからの社会の価値観を創っていく僕らの世代が「幸せとは各人で異なるものである」と主観的な価値観でしかなかったら、誰も説得できないんじゃないかな。価値観にもきちんとした裏付けが大事。その裏付けも、きちんと他人と共有されたものであるときっと良い。歴史はすでに共有された事実ベースで話が進められるから裏付としてとても役にたつ。(歴史とは何かという議論も必要だが、ここでは割愛。) 例えば友達と喧嘩したら「お前が馬鹿って言ってきたから、ムカついてんだよ!」って、馬鹿と言う・言われるという共通の「歴史」というか経験をもとに自分の議論を立てたりするのと似ているかな。ここで「俺はお前が嫌いだからムカついてんだ」と「嫌い」という抽象的で主観だけに頼った議論の立て方だと話が進まない。前者は「馬鹿って言った」ことへの謝罪が解決へ導く可能性があるけど、後者で「嫌いにさせてごめん」とはならないよね笑 「幸せは各人違うよね」と価値観を主観に任せて議論を放棄しているのは後者とすごく似ている気がする。
さらに世界史ベースだと、もう少しスケールの大きい、例えば国レベルでの対話ができたりするんだと思う。歴史とか社会学的観点はそういう意味で価値観の形成に欠かせないんじゃないかな。
こうた:
なるほど。価値観の裏付けを見つけるためにも、社会学も取ってみようかな。
以上はある日常の一部です(笑)寮生活だと違うタイプの人間が小さいキャンパス内に住んでいるので、こんな話はよくします。毎回いろいろな人の考え方に触れることができ、考えさせられます。自分の考えもだんだんと形になってきますよ。
語るのが大好きな方、ぜひお越しください!
コメント
すごく面白い記事でした!
理系vs文系良いですね!
お二人とも全く違う分野で活躍されているのに、同じCSのクラスを取られていたり、こうやって対話できる機会こそリベラルアーツの強みなのかなと思いました。
文系あってこその理系。最近本当にそう思うようになってきました。
社会学は考える力はつくけど、応用するのは難しい。反対に科学でどんなにすごい技術や研究成果をあげても、それをしっかりと社会で「正しく」応用されないと意味ないですからね。
また、この「正しく」を具体的に定義しなければいけないのも納得です。あたり前だと思っていたことがどんどんどんどん変化していく21世紀。すごくグレーになって来てる社会問題ばかりです。
文系理系問わず、次の世代へ恩送りできるようお互いがんばりましょう!:)
コメントありがとうございます。自分と異なる考えの人と語り合うのもとても良いですよね。自分では考えていなかったことに気づかされます。
とても面白い記事ですね。色々と考えさせられます。
さて、みつきさんに質問ですが、みつきさんの考える「社会貢献」とは何でしょうか?
また、テクノロジーによって社会の問題を解決していきたいという気概はとても素敵です!ただ現実にはテクノロジーによって資本主義が益々助長され格差が拡大していく懸念もあるかと思いますが、その流れに対してどうやってみつきさん含め、私達は立ち向かっていくべきのでしょうか?
最後に、こうたさんの「日本人が丸くなる」という話、とても共感できます。ちなみにこの点に関して、文化心理学的にアプローチをかけるのも面白いと思います。例えば、東洋人と西洋人の自己観の違い(前者は相互協調的な自己観、後者は相互独立的な自己観)からこの現象を見ることができるかと思います。(かつ、この自己観の違いはギリシャ哲学・東洋思想の違いに根源があるのではないかという話もあります)