冬休み特別企画:東京とグリネル比較してみた – ver.1「移動」

「田舎とかつまらなそうわろす」というイメージをお持ちの都会人の皆さまおはようございます。神奈川県出身のくせに「アイムフロムヨコハマー!」と言っている都会人の皆さまこんにちは(僕のこと)。田舎で生活したこともないくせに、都会に住んでるからって何を偉そうに。。。

今学期、気づいてしまったのだが、僕はグリネルがめちゃめちゃ好きになってきている。「このクソ田舎が」「宿題以外することがない」「外のコミュニティと交流がなさすぎる」と文句ばかり言っていた、1、2年生の頃の「僕都会出身ですから?」系自分とは大違いだ。どうしたものか。なぜこの変化が起きたのか、具体的な理由と自分の解釈はまだ建てられていない。なので、とりあえずグリネルのどういう側面が好きになってきているのか「東京 VS グリネル」シリーズをこの冬休み中にお届けしたい。このシリーズを通して、おそらく一貫してお届けするメッセージとしては「グリネルの方が基本的な日常生活に工夫を凝らす強制力が働いているから、自分の生活がどんどんユニークになっていってワクワクする」ということになると思う。三日坊主というか、1投稿坊主にならないことを読者の皆さんと一緒にお祈りしておく。

今シリーズ第一弾のテーマは「移動」。

当たり前だが、東京とグリネルでは交通機関の発達度がぜんぜん違う。東京では電車がどこにでも通っていて、タクシーもあって、ウーバーもあって。24時間どこからどこにでも基本的にすぐに移動手段が見つかる。一方でグリネルでは、車を持っていない留学生は1)大学が提供してくれるバスを予約する2)facebookグループで学内の誰かにお願いして車に乗せてもらう3)シカゴまで1日1本出ている私営バスに乗る、くらいの選択肢しかないので、事前に必ず予約しなければいけない。

こうして交通機関の発達度が違うと、移動するために使う思考の労力が変わってくる。東京では、頭を使わなくても、どうにかして移動した場所まで移動できることが保証されている。終電を逃した学生なら、帰宅することを諦めてカラオケボックスで寒さから逃れながら、仮眠し翌朝電車が動き始めれば帰宅すれば良い。移動しないともうどうにもならないという状態がほぼ存在しない。一方で、グリネルの場合、頭を使って事前に立てた自分の予定と照らし合わせながら最適の移動手段を見つける必要がある。隣町に出かけたときだって指定された一本のバスに乗り遅れたら大学に帰る手段がない。また、空港に行くための大学が出してくれるシャトルバスはすぐに予約でいっぱいになることが多ので、必死に友達を通じて車を運転してくれる友人を探すしかない。東京では「移動したいなぁ」と思った時にすぐ移動できるのに対して、グリネルではいつ移動したいのか事前に考えて、予約までしなければならない。こういう意味で、ただ移動するだけでも、グリネルでは東京よりも時間という軸に思考を巡らせておかなければいけない。

移動する時に、事前に考えておく必要があるのは時間的な問題だけではなく、金銭的な問題もある。当然住んでいるところにもよるが、東京周辺に住んでいて、自宅から都心に出るのに片道1000円以上かかる人は多くはないだろう。一方グリネルでは、空港まで大学のバスで行くのに$30 (約3000円)、シカゴまでバスで行くのに$60、ほかのグリネル生に車で送ってもらう場合は値段を交渉しなければならない。同じ距離移動するのに安い方を選ぶのはもちろんの事、シカゴまで$30多く払っても、安い飛行機のチケットを買えばトータルが安く済むこともあるし、あるいはシカゴで一泊する必要があるからやっぱりアイオワの空港から飛んだ方が時間的にも金銭的にもコストが抑えられることもある。東京ではJRが数分おきの電車の時刻表を準備してくれ、タクシーやウーバーが無限に来るのに対して、グリネルでは限られた選択肢の中から最適なものを自分が選択をしていかなければならない。

こういった違いから、東京内で移動する方が、グリネルで生活するよりも圧倒的に楽であるとわかる。それは移動距離などといった物理的な問題だけではなく、移動するために必要な思考力という側面からも言えることだ。東京の人からしたら、移動に思考力を使うなんて無駄と言われてしまうのかもしれない。でも僕には、自分で自分なりの予定を立てて、そこに適切な移動手段を添えることで、毎回徐々にパズルが完成していく感覚が楽しくてたまらないのだ。しかも、移動に必要な思考力は他のことにも応用できる。何か予定を立てるときに多角的に目標を設定する必要があることはあたりまえだ、という感覚を育てていることになるのではないか、と僕は思う。日頃考えずに行っている行動を意識的に行うようにすると、自分の生活に多面性を持たせることができるのかもしれない。