グリネル一学期目の秋、ピカピカ一年生の私はdiversity (多様性)を強調するキャンパスの風習に対して何も考えていなかった。自分がアジア人である自覚がなかったって言えば変だけど、ただ一人の生徒ととしての意識しかなかった。
でも時が流れるにつれ、気付けば周りはほとんど留学生、もしくは人種的マイノリティーの友達だらけってことに気付いた。Dining hall (食堂)を見渡せば、一番大きなメインスペースは白人のアスリート達が食事をしていて、その周りにポツンポツンと黒人の仲良しグループが集まっている。そして自分がいる場所は東側の留学生やアジア系の人が多いスペースだ。
居眠りをしないため、私はよく授業は早めに行って一番前の席に座る。そして隣には必ず人種的マイノリティーの人達が座ってくる。レクチャータイプの授業なら構わないが、ディスカッションベースの授業だと意見が偏りそうなのであえて最近は席を移動するようにしている。笑
でも実際白人の学生と授業や課外活動で話すと、「日本では何々はどうなのー?」って感じの話題を振られたり、「まゆって留学生のわりアクセントないよねー」とか言われたりする。自分の国に興味を持ってもらえるのはありがたいし、語学力を褒めてもらうのも悪い気はしない。でもそれ以外の話題はあまり振ってこないし、そこから先の会話が成り立たない。白人内だけで話題が盛り上がってる気がする。やはり「外国人」として認識されている感が強い。授業外で私から声をかけたら反応してくれるけど、あっちから声をかけてくれることはほとんどない。同じ立場の人間として見られてるのかどうか疑ってしまう。
白人、黒人、ラテン系、留学生、その他様々な国や文化から生徒が集まってきているキャンパスを出るとまた違う光景が広がっている。グリネルの町はほぼ99%白人社会だ。この町以外でも、アメリカの田舎は大半白人が占めていると思う。
ある日、道を歩いていたらトラックに乗ったおじさんに指差され「そこどけ!」って叫けばれた。その道を歩いている学生は他にもいたのに、私だけを睨みつけて叫んできた。マジでなんやねんくそじじーって思った笑
ダウンタウンで歩いていたら変な目でジロジロ見られることもある。
自分の外見に対しての直接な暴言を受けたことはないけど、やっぱりこんなことがあるのは自分の人種に関わることなのかなって疑ってしまう。一人の学生として見られる前に、アジア人・外国人として見られてる気がしてやまない。
そんなこんやで、最近は白人に対して驚怖を抱えていた。白人は皆自分に対して差別的なんじゃないかってね。自分から挨拶しようとも思わなくなったし、別世界の人間として意識しかけていた。
自分と彼らの間に壁を作ってしまった。ドスーン
勝手に白人全員に対して「差別的なんだ」っていうレッテルを張ってしまった。
でも一般論化しすぎているてのも知ってる。
差別的じゃない白人だってたくさんいるのに。
いつもなぜかベタ誉めしてくれる生物の教授や謎にからかってくる化学の教授。
彼らは私の事をちゃんと一人の生徒として見てくれてるって伝わる。
二日前、キャンパスから少し離れたスーパーで買い物しすぎて帰り道に困っていたら、会ったこともないある夫婦が寮まで送ってくれた。日本じゃありえないよね笑
結局は皆固定概念にとらわれているんだよね。レッテルを貼られている私だって立派に他の人達に対してレッテルをべったり貼り付けている。
でもそのレッテルを剥がすのって至難の技。でも逃げちゃなんも変わらない。
自分の殻からでないと何も始まらない。居心地のいい場所に居たいならわざわざアメリカまで来なくてもいいのに。なんのためにきたの?って自分に言い聞かせる。
まゆ