心で頭と体をつなぐ

グリネルでの生活も半分以上が終わってしまった今学期は、三年生として幾つかのキャリアフェアに顔を出したり、Admission OfficeGrinnellを志望する高校生のサポートをするインターンをしており、職業について考える機会が増えた。職業について考える、というより、Grinnellを卒業した後、どんな人生を歩んでいきたいのか真剣に悩み始めた、といういうべきかもしれない。

秋休み1週間前、某財閥系商事の食事会、説明会兼選考会に誘っていただき、シカゴまで足を伸ばした。秋休み中には、サンフランシスコで非財閥系商社の面接と、会計コンサルティングのインターンの面接を受けた。どの面接でも、日頃自分が考えていることや自分の価値観を言語化するだけだった。お恥ずかしながら何の準備もしていかなかったが、好印象を持っていただけたようだ。面接はどれもおおよそ上手くいった。

でも何だろう。こう言う面接を通して、Grinnellの後の生活を想像すると盛り上がりきれないというか、とても冷めている自分がいる。夏のインターンを思い出す。9時ー5時(10時ー7時というのもあった)でオフィスにいなければいない謎の責任感に追われ、疲れても素直に休めないから密かにトイレに何度も通いスマホを取り出す毎日。出社した時には明るく、快い1日の始まりを知らせてくれていた雲一つない青空は、仕事が終わるとどんよりとした暗闇に変わっている。「今日1日で僕は何を成し遂げたんだろうか」という疑問に、正当化できる綺麗な答えを探そうとするも、ないものはいくら探しても見つからない。一日中パソコンの前に座って、調べ物をして、上司に報告して。きっと上司が何かに役立ててくれるんだろう、とかすかな期待とともに帰宅する。

こうやって何となく過ぎていく時間の使い方とは真逆の時間の使い方が僕にはある。それは歌を歌う事だ。中学2年生の時、文化祭の打ち上げでいったカラオケから好きになった歌は、高校ではバンドを組む事で友達の輪を広げてくれ、大学では英語の代わりに「武器」として僕の承認欲求を埋めてきた。毎学期ある中国人が主催する大学規模のイベントでは、おきまりのペアとして昨年のルームメイトと毎回J-POPを理由もなく歌い、いわゆる社会・文化資本というものをかき集める。インターン中のような、自分がどんな変化を起こしてるか知らないけど与えられたからやる、じゃなくて、歌うことで周りがどう変化するか、は目に見える。肌で感じられる。

でも最近になって、歌を自分の承認欲求のためだけに使うことなど、本質的でない考えに変わってきた。社会学を学んでいることが考えの変化のきっかけになったのかもしれない。社会学を学ぶことで、いかに自分の頭(考えていること)と体(実際に行動すること)が一致していないかを感じる瞬間が沢山ある。人種差別というテーマを例にとってみる。理論的には、ロジック上では、白人至上主義なんてクソだ、と思っている。白人至上主義が、いかに非白人の人権を侵害する根源になっているか、など毎授業ディスカッションに出てくる。でも自分の行動を見たときにどうだろう。ブロンドで、顔の整った、世間的に体型の良いとされる人を見て、かっこいい、かわいい、美しいなどの褒め言葉を頭に過ぎらさずにいられるだろうか。正直僕はまだ無理だ。頭と体が繋がってない。

歌の話に戻る。僕は自分の歌を録音したものを聞くのが嫌いだ。意外にもピッチやテンポが外れていることに気づくのもそうだが、全く感情が伝わってこないからだ。歌っている時はそういうことにはなかなか気付かないものだが。頭では歌詞をなぞって、意味を観客に伝えているつもりでも、体がその機能を全く果たしていないのだ。それに気づくから頭で必死に歌詞の意味を考えて、また歌う。しかしまた同じだ。

僕は頭で考えていることと、体で行う事を整理し、一致させてくれるのが心の役割なのではないかと思う。(ちょっと言っている事がカルト宗教臭い気もする。)頭ではわかっているけど、心から感じられていないものは、体で表現できない。それをつい昨日のミュージカルのオーディションで思い知らされた。

毎学期一つくらいは演劇専攻の学生がディレクターになってミュージカルを創り上げる。ミュージカルの音楽が大好きな僕は、オーディションしてみたいと思いながらも、ビビリなのでなかなかその一歩を踏み出せずにいた。が、今学期は幾つかのキャリアフェアでの面接を通して、今やりたいことをやろうと思えたからか、ディレクターにメールしてオーディションにサインアップした。一次選考は歌のパフォーマンス。歌はある程度できるので、無事通過。男子は5人が2次選考に進み、4枠を競い合うことになった。一次選考の二日後、2次選考となった。与えられた新たな曲を、授業の隙間時間を使って練習して、感情を込める準備もできていた。2次選考は想定外に、歌に合わせてダイアログ(オーディションする人たちがペアになって、与えられた脚本の一部を読みながら演技する)だった。2次選考の残ったのは、僕以外みんな白人のアメリカ人。もうそれだけで緊張している。それに加えてやったこともない演劇をしかも英語で、即興で内容理解して感情を込めて演技しなさいと。案の定発音のわからない単語で言葉を詰まらせ、内容理解も仕切れず、感情のこもった演技など程遠かった。そのあとの歌では、ピアニストのテンポに全く合わせられず、焦り、歌詞を忘れた。5人のうち不合格にならなければいけなかった一人は僕となった。

いわゆる「エリートコース」にしかれた有名企業で仕事をすることに興奮を覚えられなかった僕は、このミュージカルというとても小さなチャンスに心躍らせ大学に入ってから初めて本気でこのチャンスを得たいと思った。でもダメだった。正直絶望した。自分の得意な歌が重要な選考要素に入っていたのにもかかわらず、自分のパッションを実現させられなかった。こんなクソ田舎で勉強以外やることのない僻地にようやく見つけた唯一のミュージカルという楽しみ。これが手に入れられないなら何が楽しいのだろうかと。一晩中、方向性もなくオーディションのことを考えまくった。心配して電話をかけてくれた友人もいた。今日の午後、合格したほかの男の子が僕を見かけ、少し気まずそうな顔をした時は、正直泣きそうになった。色々と不合理な考えが頭を巡った。

でも仕方ないのだ。このたった一つの、ほかの人から見たら小さすぎてどうでもいいような不合格は僕に数え切れないほどの教訓を、頭ではなく、心に刻んできくれた。実用的な教訓としては、もっと英語力を上げること。歌の技術、表現力を磨くこと。演技に自信を持つこと。そしてもっと大きなレベルでは、心で表現することの難しさ、重要さ、そして美しさを教えてくれたと受け止めている。次のオーディションでは、必ず心で歌を、演技を、自信を表現するのだと誓って。

12月にある、このミュージカルの公演を見に行くのが今から楽しみで仕方がない。

コメント

  1. ? より:

    頑張れ、みつき!次はきっとうまくいくさ!

  2. おおい より:

    本音が含まれている記事は心が動かされます。ありがとうございます。

    • みつき より:

      コメントありがとうございます!これからも本音の思いを言葉にしていきたいと思いますので、引き続き応援していただければ幸いです。