幸せって何?世界で二番目に幸せな国に行ったら幸せになれる?!?!

CNNが発表する「世界幸福度ランキング」でデンマークは毎年トップ3を維持し続けている。ちなみに今年はフィンランドが1位、デンマークが2位、アメリカは19位。日本はなんと58位だ。

WORLD HAPPINESS REPORT 2019

人口あたりのGDP、社会的支援、健康的平均寿命、性の平等性、選択肢の自由などの項目をポイント化しランキング付されているそうだ。いかにも欧米の価値観に寄った方法であるためよく批判されているらしいが。笑

では世界で2番目に幸せといわれるデンマークで生活する自分、19番目のアメリカで生活する自分、58番目の日本で生活する自分、どの自分が一番幸せなんだろう。

五ヶ月間生活してみてデンマークが幸せな国って言われる理由もいくつかわかった。社会国家で教育費が無料なため、大学院までいって博士号を取るのも全然珍しいことではない。物理学の学士号をとったけどやっぱり数学も勉強したいから再び大学に入っている学生とかもいる。医療費も無料。その分税金は半端なく高い。高給取りになればなるほど税金でどんどん引かれるから「金持ちになりたいから仕事を選ぶ」という考えはあまりない文化だ。だからほとんど人はやりたい事を見つけてそれを仕事にしている。貧困の差も少ないし性差別もゼロにちかい。仕事も頑張りすぎない。だいたい九時五時で夜は家族揃って夕食を共にする。

反対に58位の日本社会では夜遅くまで残業させる企業も少なくない。コンビニだって24時間空いている。何かを注文したらすぐ届くし、公共交通機関も夜中まで走っている。健康診断だって当日に予約してすぐに検査してもらえた。(デンマークでしようと思ったら一ヶ月以上かかると言われた)日本は便利でサービス精神に溢れた国だが、仕事や労働中心で人々の生活が回っている。でもそんな国だからこそ人の価値はイコール労働に近いような風習がある気がする。

ちなみに19位のアメリカでの自分の生活は勉強が中心だ。勉強がしたいがためにわざわざトウモロコシ畑のど真ん中へ飛び込んでいった。大好きな科学を学び、肉眼では見えない世界への理解が深まることに対して喜びを感じることがある。でも毎日毎日が楽しいわけではない。この三年間のうちに好きなことを学んでいるという感覚よりも目の前にある課題や論文、研究がタスク(労働)のように感じるようになってしまった。いい成績じゃないと名門大学院へいけない。良い就職先にもつけない。自分の価値を数値ででてくる成績や研究の成果にイコール付してしまう癖ができてしまった。自分自身の中から溢れ出てくるプレッシャーやストレスで視界がかすみ、本当に大事なことが見えなくなった時期もあった。

ではデンマークにいる自分は日本やアメリカにいる自分よりも幸せだったのか。デンマークでの授業はグリネルと比べだいぶ課題も少なく易しかったため、興味がある事を学び時間に余裕のある生活をしていた。授業の合間にカフェ巡りをしたり、きれいな運河沿いに住んだり、お城でお姫様気分になったり、放課後ビーチにいって昼寝したり、毎週末のように旅行したり。あらゆるフィルターのかかりまくったインスタグラムの投稿を見返しても本当にキラキラしている生活に見える。でもそんな甘やかされきった生活の中でも不安や将来に対しての焦り、そしてなにか満たされていない気持ちになることも多々あった。どこかに旅行したらまた別の場所へ生きたくなる。あのカフェにいったらまたあっちのカフェにいきたくなる。あれもしたい、これもしたい。夏何をするのか何処に住むのか決めなきゃいけない。来学期の準備をしなきゃいけない。就活や大学院の準備をしなきゃいけない。

「幸せな国」に来ても自分の欲望としなくてはいけないタスク事が視野を邪魔して「今100%幸せ」だとは確信できなかった。じゃあその欲望とタスクはなんのためにあるのだろう。ただ不安や焦りを感じさせるものなのだろうか。本来ならきっと欲望もタスクも自分の生活や経験を満たしてくれるポジティブなもののはずだ。だけど結局タスクや欲望を通して満足できない気持ちや、それを受け入れる心の余裕がないかぎり人は幸せになれない。人生は長期マラソンなのかもしれない。もっと早くもっと遠くへとばかりというメンタリティならば知らぬ間に死というゴールに辿りついてしまう。でも一旦立ち止まり、喉を潤し、今まで走ってきた道、そして今自分が立っている場所からの景色を楽しむ余裕やともに同じ道を走って来た仲間への配慮を「早く遠くへ」という気持ちより優先した方が人は幸せなのかなとも思ってみた。

まゆ