リフレクション

右から2番目のポールの上に座っているのが僕です。

Kwame

今年の夏にタンザニアを訪ねて、セレンゲティ国立公園の大草原を見た時に、想像していた偏見的なアフリカのイメージがまさに目の前に広がっていて、エキゾチックなものに対するステレオタイプは必ずしも間違いではないのだな、と勝手に思ったことがあります。

グリネルでの生活を顧みる(リフレクトする)中で、そんな感じでどうしようもなくしょうもないことですが、米国に対して抱いていたイメージが実際にそのままだった体験を書きたいと思います。

個人主義

今年から大学図書館で働いているのですが、新人研修の際に、竜巻が起きた時の指導があって、アラームが鳴ったらとにかく地下シェルターに逃げなさいと指導され、「利用者の避難誘導はしなくてもいいのですか?」と聞いたら、監督の方は「逃げ遅れたら彼らの自己責任だから、君は気にしないで避難しなさい」と言われ、ああ、これがアメリカの個人主義かーと思いました。

ところでグリネルは竜巻、深刻なサイクロンが発生することが多々あり、先学期は大学近くの刑務所でボランティアをしている最中に竜巻が起き、危うく刑務所で一夜を明かしそうになりました。また、約140年前に発生したサイクロンでは約40人が犠牲になり、グリネルの卒業アルバムはそこから「サイクロン」という名前が付けられています。

図書館員の仕事は、あまり大変ではないことに加えて(今このブログも勤務中の受付デスクで書いています)、自分の学術研究に非常に役に立っています。図書館の本の分類などの仕組み、他の図書館から本を取り寄せたりという便利なサービス、またトレーニングの一環でプロのリサーチアシスタントの方から有効なリサーチ方法やデータベース活用方法などを学べ、大学のアカデミック・リソースを最大限有効活用できるようになり、リサーチも非常に効率的になりました。有料のアカデミック・データベースに大学としていくつも登録されていたりと、グリネルが学術に非常に多く投資していることが、この仕事から伺えます。

ディベートが皆うまい

「米国の大学の授業はディスカッション中心で、自分自身を表現することが…」と、米国に来る前はよく聞きましたが、やはり皆スピーチやディスカッションがうまい。現在中級のロシア政治科学の授業を取っており、グリネルの中でも比較的力量のある学生が集まっているのかもしれませんが、この差はどこから来るのだろうというくらい自分がポンコツに思えます。

そもそもの英語の壁が高いというのは必ずあると思います。日本語上級レベルの学生の会話トレーナーをしたり、他の日本人学生の英語を聞いたりしていると、端的に言えば誰でも第二言語で話しているときは第一言語で話しているときよりも浅はかに見えます(そもそも浅はかな人もいますが)。第二言語で話すと、やはり建設的な文脈を即興で作り出すことが、特にアカデミックの場面では非常に難しいです。特に自身の単語量や修辞の貧弱さに起因すると感じています。日本語の単語や言い回しも貧弱になってきたと、ブログを書いていて思いますが…。

文化の違いという観点からも、米国人の彼らは議論の中に米国が直接出てこなくても、潜在意識の中で米国人的な尺度や展望から議論していて、日本のバックグラウンドを持つ自分には本質的な視点がかみ合っていないのではないかとも思います。

単にグリネルのレベルが高いというのもあるのかもしれません。日本の大学や米国の他の大学であのレベルの議論が学生の間で本当に行われているのだろうか、ともよく考えています。

上記のディベートの話とも関連しますが、自分はこの人たちとは違うなぁ、と良く感じます(日本人とも違うなぁとも良く思いますが)。ただまぁ、多数派に懐柔する必要はないよな、といつもマイペースで楽観的に過ごしています。

リフレクションレポート1.

Kwame