グリネルというリベラルの居城

Kwame

グリネル・カレッジの学風がリベラルであるというのは、過去の投稿者もぐりねりすに書いてきたことだが、グリネルのリベラリズム、アクティビズムが学生の多様性に与える影響について書いてみたいと思う。

グリネルを志望している高校生の方々には少し残念かもしれないが、米国の他大学の学生と話をしても、グリネルは同じ人種でのセルフ・セグリゲーションが目立つように感じる。簡単に言えば、白人は白人同士でよく一緒にいるし、アジア系学生はよく固まる。

セグリゲーションの問題はグリネルに限らず、米国の多くの大学で論じられており、校内の議論では、新入生の留学生オリエンテーションが長いとか、社会学的にしょうがないとかがよく言われるが、それに加えてグリネルは、リベラルな校風が問題に拍車をかけていると思う。

マイノリティの地位向上

グリネルは、米国の大学の中でも特に人種的、性的マイノリティや経済的弱者の保護と支援に力を入れており、文化的多様性の拡大にも非常に積極的である。その努力は、全校生徒の約20%を占める留学生数や、多額の奨学金支給に表れている。米国リベラルが掲げる、包括的な社会作りを実践し、実際校内を歩いていても、白人しか見ないということはほとんどない。

しかし、グリネルでマイノリティがマイノリティでなくなってしまった結果、セグリゲーションが顕著になってしまったと思う。ロサンゼルスを今年の春に初めて訪ねた時にグリネルと同じように感じた。ロサンゼルスは確かに人種構成比をみると非常に多様性に富んでおり、アジア系、ヒスパニック、黒人も非常に多い。しかし、この多様性の中で文化は融合せず、チャイナタウン、リトル・インディアと分化してしまっていた。グリネルでも、留学生は、同じ文化圏の人と話しているほうが結局楽だし、文化の壁を乗り越えなくても同じ文化圏の人が沢山いるから固まってしまうのだと思う。

逆に、タンザニアに米国のサマースクールプログラムで行った際は、40人ほどの参加者は90パーセント白人で、東アジア系は自分とハーバードの中国系米国人の二人だけだった。この環境では、マイノリティはマジョリティのグループと混ざらなければならず、多様性は少ないが、セグリゲーションは生まれにくかった。米国の大学でも、マイノリティの人種が同じ文化圏でコミュニティを形成できない場合は、文化の違いを乗り越えることを半ば強制されるため、セグリゲーションは生まれにくい。

その中国系米国人のハーバードの学生も、タンザニア滞在中こそ白人の学生と仲良くしていたが、帰国後彼女のフェイスブックの大学での写真を見てみると、ほぼすべての写真がアジア系の学生と映っているものだった。グリネルと同じく20パーセント近くをアジア系が占めるハーバードの学生人口構成比をみれば、納得できる。

イデオロギーの壁

往々にしてリベラリズムは白人の文化で、グリネルにおいては、そのアクティビズムの文化が非常に濃いことが、他大学に比べて留学生、アジア人が固まる最大の原因になっていると思う。自分は日本では、はみ出し者にならないよう、表立って活動はしていなかったが、高校生の頃から、大学生に混じって政治問題の勉強会に参加するなど、もともとリベラルだったので、扱うコンテクストは異なっても、グリネルで環境保護のアクティビズムなどを行っている(Little Creek Movement Grinnell参照)。

しかし、大体の留学生は冷めた視線でグリネルのアクティビズムを見ている。背景として、全米の留学生に共通だが、多くの留学生が裕福な家庭出身で、政治に関心がなく、現在の社会構造に対して特に不満や疑問を持たないことがあると思う。親の社会ステータスなどが高く、キャリア志向なため、価値観も保守的であるように感じる。

大学の中国人の友人との会話で、彼は「白人は大学で、勉強よりもボランティアなどの活動や人生経験を大事にするのだろうが、自分たちアジア人は、勉強して良い成績を取り、大学院に行き、良い職に将来就くために大学に来ている。その証拠に米国で成功している多くの家庭がアジア系だ。」と言っていた。こうした考え方の違いから気が合わず、セグリゲーションに繋がっていると感じる。

他大学の留学生の価値観もグリネルと変わりはないと思うが、他大学ではグリネルほどアクティビズムの文化が無いため、政治に関心がない留学生も大学に馴染みやすいだけで、彼らがグリネルに来ても、グリネルの現在の留学生と同じように、大学のリベラルな雰囲気や価値観には相容れないと思う。

それでもグリネルが好きだ

グリネルに来てすぐは、人種ごとに固まる雰囲気に失望していたが、今はこの環境に身を置いて良かったと感じている。セグリゲーションが多い中で米国人と深い関係を作るのは簡単ではなかったが、白人の多い普通の米国大学で、特に考えず白人の友達と学生生活を送っていたら、こうした人種問題や多文化の共生などについて深く考えることはなかっただろう。

また、米国人と話していると、文化や言語の違いから、話題についていけず大変なことも多いが、日本語を勉強したり、アニメが好きだったりという文化的な共通点がある米国人の友人を作るのではなく、文化や国の違いを超えた場所に共通点を見出せる友人作りを、自分は心がけているし、そうした関係を築ける人が、真の国際人なのではないか、と思う。

Kwame

追記:

「グリネルというリベラルの居城」という題は、グリネルというリベラル的価値観の壁を、内と外の世界を分かつ城に例えて表現したものです。また、イデオロギーの壁の部分の考えは今は亡きM.S先輩(卒業しました)と今年の夏、東京でマッコリ飲み比べをしたときにした会話でM.S先輩が話されていたことを少しもとにしています。

今後、学業が多忙になってきたため、少し投稿が滞ると思いますが、よろしくお願いします。