さよならグリネル

こんにちは、M先輩です。グリネルを卒業して二か月が経ってしまいました。初めの一か月を読書とお笑い鑑賞に浪費し、後の一か月はヨーロッパでバックパッキングをしていたせいで「ぐりねりす」での挨拶が遅くなってしまいました。卒業生扱いになる前の最後の投稿では、グリネルでの学生生活を振り返りながら僕の極めて個人的な考えを書いてみようと思います。

僕にとってグリネルでの生活とは、世界の広さを知り常識を疑う、この繰り返しでした。様々な国や地域からの学生たちと交わることで、言語、教育、文化、歴史、政治、階層、人種、性差といった観点から多面的に自分を相対化することを学びました。自分の顔と名前だけでなく卒業後の進路まで覚えてくれる教授たち。彼らの会話のあちこちに教養と学問の奥深さを認め、尊敬の念を抱きました。社会学を通じて、個人の能力や社会の規範を構造的・歴史的な観点から再評価する癖がついたように思います。ドイツ語を学び留学したことは、欧州の歴史と政治的伝統についての関心を深めるきっかけになりました。

グリネルが僕に与えてくれたものは、物事を多角的に捉える考え方や社会的想像力と共感力、そしてそれらを用いて語り合える友達ないし戦友だと思います。ラップとサッカーを愛してやまない趣味人、コメディーとフェミニズムを結び付けようと志す学者肌、四か国語を操り時事問題に詳しすぎる外交官候補、初回の授業でマルクス主義者ですと自己紹介する左翼教授…。今すぐにでもまた会って話したい人たちです。

この四年間を通して、色々な価値観を持った人々と出会い、日本ではできないであろう体験を、冒険をすることができました。新聞部で記事を書いたり、コメディーに挑戦したり。老人ホームや新聞社でインターンした後、シカゴの親友を訪ねに北米横断鉄道に50時間乗ったり。政治系のイベントで疲れたら、町唯一のカフェで休んだり。このような環境で勉強することを許してくれた両親には本当に感謝しています。もし自分が親になったら、子供に同じ選択をさせてあげられるようになれればと思います。でもその前にまず彼女を探そうと思います。

代わりに難しくなったのは、学問や政治ではなく就活と消費、猥談に精通した高校の同級生やその他の大人と付き合っていくことです。もちろん留学生が全般的に優れていると言うつもりもありません。留学生の多くは(グリネル生も含め)日本の大学ヒエラルキーの延長として海外大を選択するスーパー学歴主義者やグローバル資本主義の熱に浮かされたエリートが占めていると僕は思っています。自分もその合いの子でした。それでも留学は、先程も言ったように、自国の文化を客観視するチャンスだと考えます。

最後に、僕の大好きなドイツの作家ヘッセを引用してカッコ良く終わろうと思います。真の自我の探求と、俗衆の堕落や蠱惑との摩擦に悩む青年を描いた『デミアン』という小説(ガチでオススメです)中の言葉です。

「われわれの見る事物はわれわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独得の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。…大多数の人々の道は楽で、ぼくたちの道は苦しい。――しかしぼくたちは進もう。」

グリネルには、常識を打ち崩し自己を追求する機会がゴロゴロと転がっています。今まで自分のいた現実と違いすぎて驚いたり悩んだりするかもしれません。未だにその現実に住む人たちと意見が食い違うこともあるかもしれません。それでもじっくりと考えたい、たっぷりと学びたいという人は、是非グリネルに来てください。いや来るしかない。

そして、ぼくたちと進もう。

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P.S. 今まで読んでいただきありがとうございました。僕の拙文を通して、グリネルやリベラルアーツの様子について何か発見があったらいいなと思います。今後は時々ゲストとして寄稿する予定なので、その時は目を通していただけると嬉しいです。…グリネル帰りたいです。